いのちを守る300キロの森づくり 仙台植樹祭レポート
posted on 2011/08/07
2011年7月31日、くくのちのモリプロジェクトは仙台での植樹祭に参加しました。
植樹地は目の前に仙台湾が広がる、若林区荒浜の小高い公園の一角でした。
広大な仙台平野は遠目には自然そのままで、海岸線に沿って流れる貞山運河は、光を反射して輝き、人工のものとは思えないほど風景に溶け込んでいました。
貞山運河は、最初の堀が伊達政宗の命によって開削され始めてから300年もの間、断続的に作られた堀が一続きになって、現存30km弱にもなるという日本最長の運河です。運河の周辺では長い間に自然が人工の堀と融合し、人々はそれを役立てたり楽しんだりしてきました。その貞山運河沿いにある集落の一つ荒浜地区は、半農半漁村の共同体を長く続けてきました。農家と兼業で冬場は海苔の養殖もすれば、漁で生計を立て菜園も作り、夏は海水浴客相手の海の家も経営もする、といった多角的な暮らしは、時代の移り変わりで高齢化が進んだとはいえ、最近まで実り豊かに営まれていたのです。
(「貞山運河事典参照:http://teizanunga.com/default.aspx)

その荒浜は今回の大津波によって壊滅的な被害を受け、多くの方が亡くなり、町は瓦礫の山となってしまいました。
昔は枝や枯れ葉が日々の生活に役立ち、また防砂林防潮林としての役割を長く果たしてきた、青々として幅の広い松林の大部分が根こそぎなぎ倒されました。瓦礫は何箇所かに分けて山のように集められ、運河の修復が進められています。遠くに見える荒浜地区の詳細は、県外から来た参加者には分かりません。地元の方たちも多く参加されていたようですが、災害について言葉を交わす機会がありませんでした。海岸近くへバスで移動する間、窓枠も中身もすっかり流され、暗い空洞を残し傾いた家が何軒も見えました。畑の中に流され廃棄されたままの車や、斜めになった電信柱、崩れた瓦屋根もまだ多くあります。無数に傷ついたものは全て固有の事情があるはずで、人間の想像能力を遙かに超える非日常の事態を目の前にして、外から来た者は混乱した感覚のまま祈るしか術がありませんでした。
開会の挨拶後1分間の黙祷をして、植樹祭が始まりました。
宮脇昭先生はトレードマークの麦藁帽子に長靴姿で、今までにも増して力のこもった挨拶をされました。「いのちを守る300キロの森づくり」への信念を語られます。内容は下記のリンクをご覧ください。林野庁長官始め市や地区の関係者の出席もあり、宮脇先生の笑いを呼び起こす手馴れたリードのもと、大人や子供も飛び入りで、苗木の名を3度復唱しました。宮脇先生にとっては皆同列の植樹協力者です。http://www.youtube.com/watch?v=M3xDaV0BugU
元は住民をとりまく物であった膨大な瓦礫は、危険なものはより分け、無駄に燃やしたりせず、思い出として残し、地球資源として使おう。山を作り苗の根もとに埋め、生命を循環させるために、植物の根を張る力や、菌類の分解に任せよう。生命の森についての、その遠大な構想は、今回は先延ばしになりましたが、必ず実現させると強い決意を語られました。「今日の植樹は1000本ですが、記念すべき出発点です」。
小ぶりの植樹地でしたが、地元の方々と遠方からのボランティアが協力し合い、一人につき2、3本は植えることができました。
前回、多摩美植樹祭に来てくださった助っ人の方々は、今回も大活躍されていましたし、ツイッターで交流していた大阪の大学生ともお会いすることができました。
お昼をはさんでタブの実をポットに蒔きました。
現場で指導される宮脇先生の様子を拝見して、種子や苗に対するたいへんに細やかな配慮を感じました。
「向こう(タブの実)は命がけです。私たちもそれに応えるように育てましょう」「種は容器の縁にふれないように置いて」「水は大切です。多くても足りなくてもいけません」「植え替えるときはこのようにそっと……」
現場で具体的に、とことん木々の命と付き合ってきた人の、熱意のこもった言葉が続きました。
時折冗談を交えて場の雰囲気を柔らげながらも、自然に則した資源利用を力説され、「この土はどこのものですか。業者に任せきりではいけませんよ」とおっしゃるのを聞いて、合理性のもとに末端まで利潤を追求するシステムへの警戒と、強い反骨の批判精神を持っておられることが分かりました。
植物の多様性や土地本来の生命のあり方を、深いところまで捉えておられることが、今の文明の脆さ、残酷さに対する洞察へと繋がるのだと思われました。83歳の今も、数々の国で調査、植樹をされ、この日も前日は中国から帰国、次の日はタイへ植樹に向かうという脅威のパワーを発揮されています。

地元の「タブの実」を拾い、どんどん苗を育て皆で命の森を作りましょう!と気合を入れて、2時前に解散となりました。
仙台駅までバスで送っていただいたグループは、山また山の中を猛スピードのMAXやまびこで東京に帰ってきました。 みなさまお疲れ様でした。
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前日はイグネ「長喜城」を見学しました。
「イグネ(居久根)」とはこの地方で屋敷林を呼ぶ言葉。強い風から家を守り、果樹や竹や薪が暮らしを支え、大切に育てた樹を材料に家を建て替える、生活と一体になった小さな森です。
かつては仙台平野に沢山あったそうですが、次第に数が減り、とくに長喜城は仙台市若林区の市街地に接した最後の緑の砦のようです。
大災害の後ということもあり、声かけは遠慮して周囲を見せていただきました。
遠くからでも、屋敷をとりまく大きな杉の木が目立ちました。
地面や塀、古い建物などには地震の被害があちこちに見られます。
家も畑も隣接し、普通の時なら「モリ」の参考に、
穏やかでのんびりした実体験のお話が聴けそうな場所でした。
時折小雨が降ったり止んだり、比較的涼しい日でした。地区の神社も参拝しました。
宿泊は輪王寺さんにお世話になりました。以前から地元の森づくりに尽力され、今回の植樹祭も共催されています。
木々と新旧のお墓に取り囲まれた、小高い場所の僧坊です。寺はまさに墓所ですね。
朝方地震があり驚きました。
大きなお寺の植樹庭も見学。植樹マンの石像、池にはドングリの石像がありました。
(植)
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以下はメンバー参加者の感想です。
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「今後の300kmいのちの森作り計画の胎動になるような、良い植樹祭になったとおもいます。
くくのちのモリプロジェクトも、東北の森作りとも連携しながら、また独自のモリ作りも展開して
いきたいと、改めて感じました。」
「宮脇先生の情熱には圧倒されました。タブの種一粒一粒に愛情を注がれているのを感じ
ました、全てを大きな木に育てたいのですね。ぼくは先週ちょっと雑に蒔いてしまいました。
林野庁長官も樹の名前をちゃんと復唱してくれてよかった。
東京から来ていた他の植樹グループの方々との再会も心強かったです。
東北なのに不思議な感じでした。
300kmに6000万本というのは、今回の6万倍で気が遠くなりそうですが、
実現したいですね。」
「仙台まで行ったのに、植樹祭以外に何のボランティアもせず戻ってきてしまったことに、
ちょっと後悔しています。」
「宮脇先生、圧倒的でしたね!
私は2回目の植樹で、我ながらまだまだ手元が嘘くさかったのですが、
回数を重ねていくことが大切だとつくづく思いました。
本で順番を押さえるよりも、実際に作業することが大切ですね。」
「現地の様子をこの目で見る以上の体験はないことを、強く感じた旅程でした。
そして、もっと体力が必要と痛感しましたので、にわかに筋トレを始めようと思います。」
「まずは仙台沿岸部の広大な荒野と化した姿にテレビでは窺えない衝撃を感じました。
私の地元も阪神淡路大震災で被災し、瓦礫に埋まる街に息が止まりましたが、
今回は、波にさらわれ何もない……。
しかもこの荒浜はほんの氷山の一角なのですよね…。
神戸は狭い区域なのでひとつにまとまりやすかったけれど、
ここ東北は拠点が無数に散らばっているだけに、
(テレビでもずっと言っていたけれど、ほんとうに広大だ)、
300kmの森を各地で作る横の連携をいま始めなければ、と思わされ。
今回の宮脇先生の気合は特に凄まじいものでした。」
「“東北産”のタブノキの苗を育てるのは地元の人が中心に動かないと
4800万ポットは作れません。
東北のタブの実が落ちきるまであとわずか。(現在は青い実が木に成っている状態)
しかも場所は海岸沿い(心理的に地元の方はいま海に近づく気持ちになれないかもしれない)。
植樹祭でみんなと一緒に植えて嬉しく思ったのもつかの間、今回の植樹はこれから長い時間を
かける緑の長城の始まりに過ぎない、とも思います。
現代の「稲むらの火」http://www.seisvol.kishou.go.jp/eq/inamura/p1.html
になり、地域住民が雇用されることで緑の長城が作られる形が理想的とは思う。
(その雇用主がまだいないけど…)
宮脇先生の名言「動きながら考える」でいくぞー!っと。
イグネのまわりをぐるっと一周してきました。
地元の方が周りの生垣の手入れをしていたり散歩していたり。
栃木の屋敷林とはまた違う印象でした。 」
以上
