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講座レポート「仏法(ダルマ)と動物、そして人とのあいだ」

posted on 2010/12/08

2010年11月16日(火)に行われた「仏法(ダルマ)と動物、そして人とのあいだー密教は命と心をどうとらえるか?」の講座レポートです。

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仏法(ダルマ)と動物、そして人とのあいだ」というテーマについて、講師の宮崎さんは、前世において動物であったブッダが他者のために身を捧げ、仏法に触れさせる縁にするという、ジャータカ物語から語り始めました。

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人々に利他心を説くこのブッダの前世譚は、ブッダ自身の言葉を正確に伝えようと意図してなされた、上座部による結集の際に影を潜めていくことになるのですが、宮崎さんは、この出来事を具体的な例として、結集をきっかけに仏教は言葉中心のものとなり、ひとつひとつの瑣末な解釈に縛られていくことになってしまったと指摘します。そのような情況の中、仏法を言葉のみの偏った捉え方をすることは、間違いではないかと考える、竜樹が登場します。

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いうまでもなく、言葉は、その語る対象そのものではありません。言葉によって語られるものは、あくまで情報の断片にすぎず、その不完全な言葉によって仏法が語られるのであるのなら、そこで語られる命や世界というものは、それ自体について、真に語り得ないのなのではないか―。竜樹はそのように論を進めて、それを乗り越えるべく、「空」の概念へと至ります。

宮崎さんは、「 禽獣卉木は、皆是れ法音、 安楽覩史は、本来胸中にあるを頓悟せしめん」という空海の書簡の言葉をひきながら、「空」とは、「リアル・存在」のことであると説明します。

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動物や植物というものは、すべて仏のみ言葉であり、また極楽世界とは、本来胸の中にある。この空海の思想には、仏法が「経典=言葉」というかたちに押し込められていくうちに忘れ去られてしまった、「リアル・存在」そのものへのまなざしがあります。またそれは同時に、「経典=言葉=それを操ることのできる人間」のみの仏法ではない、「動物をはじめとする、この世界すべてのもの=リアル・存在」を包み込む仏法の姿であるともいえるでしょう。これは、ジャータカ物語で語られているものと同じ視点であり、一見プリミティブともとれるこのような思考のなかにこそ、動物の仏法はあるのだと宮崎さんは結論付け、講義は締めくくられました。

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講義の後の質疑応答では、講座に参加した中沢新一・くくのち学舎長が、ジャータカ物語において利他心のあらわれとして説かれている動物の犠牲行為と、動物集団において見られる、個体が自らを犠牲にすることで種としての遺伝子を存続させようとする、ドーキンスがいうところの、「利己的な遺伝子」との兼ね合いについての質問をされ、講座はさらなる深みを持つこことなりました。

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命や世界そのものを、仏法として抱きしめる。けっして人間だけのものではない、動物をはじめとした、すべての存在に対して開かれた仏法の可能性を、宮崎さんの講義から感じることができ、まさに「動物の法へ」プロジェクトのキックオフにふさわしい講座となりました。(長)