講座レポート
講座レポート
くくのちのモリプロジェクト見学会(12/23)レポート
posted on 2011/01/03
当日は寒いという天気予報を信じて、着膨れて出かけたところ、日向はぽかぽかでした。
鶴川駅で待ち合わせ、バスに乗って10分くらい。妙福寺前で下りて、山道を辿ります。

↑登山道入り口の道標、これで道に迷うことはないですね
落ち葉がいっぱい積もった細い道を、しばらく登っていくと分かりやすい表示が見えて、雑木林の続きのこんもりした崖に、下三輪横穴墓群四基がひっそりと暗い口を開けていました。写真では奥まで見えるように写っていますが、木立の中で覗いて見ると日差しがあっても、なにやら薄暗く細部までは捉えられませんでした。

↑雑木林をすすむ見学会の参加者

↑東京近郊なのに、畑もあったりしていいところです
暗くぽっかりした穴の前で、参加した皆は少しの間無言でした。

↑下三輪横穴墓群、しばし無言で見入ります

↑墓の中はこんな感じ、きれいに掘ってあります、内壁に彫刻等もあったようです
その後あたりを見回して、木々や墓の掘り方を確認したりしました。長崎リーダーの話では、周囲の植生はすっかり変化しているのではないかということでした。

↑7世紀の墓だそうですが、当時とは植生がすっかり変わってしまっているのでしょうね
次は山を下って、寺家谷戸田のほうに降りて、杉木立の立派な寺家ふるさとの森を抜けて、何だか通行止めの尾根道だかを通ってしまったのでしょうか。落ち葉どっさりで湿った坂道を下りることになり、しばし緊張。写真はありません。空手師範のリーダーはつるっと滑りましたが、流石の受身で回転着地されました。

↑寺家ふるさとの森、昼間なのに薄暗いです

↑ふるさとの森を歩く参加者のみなさん
また少し坂を登ったところに熊野神社がありました。山茶花が満開。

↑熊野神社
「熊野神社は通称”おくまん様”と呼ばれる。伊邪那岐命、伊邪那美命を祭神とする。伝承によると元慶元年(877)大和の国城上郡三輪の里(現奈良県桜井市三輪)より勧請されたという。明和4年(1767)別当である高蔵寺の法印亮恰により社殿が造営され、嘉永7年(1854)石像の三尊仏を造立して再建が図られた。現社殿は昭和48年に造営された。御神木のアカガシは樹齢300年を経ており、町田市の銘木に指定されている。」(麻生岡上の里山から多摩のまほろば三輪の里道へを参照)
そこを下って白坂横穴墓群に向かいます。途中、椙山神社に参りました。

↑椙山神社
「椙山神社は、由緒書によれば、この付近の山容が古事記や日本書紀にも記されている大和の国の三輪の里に鎮座する大神神社(三輪神社)の神体である三輪山に似ているということから、元慶元年(877)当地に勧請されたとの伝承がある。社号の『椙山』は珍しいもので、武相には72の杉山社があるが、椙山の字はここが唯一である。祭神は日本武尊と大物主命。御神体は不動明王が鋳出されいる御鏡で、裏面に下三輪総鎮守 寛文4年(1664)大吉と刻まれているという。」(同上)
このあたりは奈良の三輪山に縁の深い土地柄のようです。
白坂横穴墓群で公開されているのは二基。河原の石を内部に敷いてあるところや、墓の掘り方が少し違うようです。住宅地のすぐ横の道沿いにあり、階段や手すりを設けるなど、周囲もよく整備されています。

↑白坂横穴墓群、墓の上の植生とあわせて

↑白坂横穴墓群内部、河原の石が敷いてあります
時間があったので辺りを散策しましたが、大変手入れの行き届いた景観を作られて、自筆らしき説明をつけられるなど、親切丁寧な所有者が居られるようです。参加者同士で、誰が掃除をしているのだろうか、お一人ではないでしょうなどと話しました。お花見スポットお勧めはここです。(三輪の里4か5)奥に見えるのはわらぶきの屋根。多分、枝垂桜が満開の頃は夢見心地になるであろう光景が想像されました。

↑地域の方が立てている看板、たしかに三輪の里は奈良の山の辺の道にそっくりです

↑随所に立てられている看板


↑たくさんの看板から、地域の方の思い入れが痛いほど伝わります

↑三輪の里、荻野家、かやぶきの屋根が目を引きます、春先は櫻が咲き乱れるでしょう
下三輪の辺りの谷戸や里山もそうですが、神奈川県域に飛び地のようになっているため、たまたま開発を逃れて自然が残され、今となっては貴重なそれを、皆で大切に保存しているのかなと思わされるような印象でした。

↑途中出会った赤い木の実

↑思わず見上げてしまう、三輪の里のカヤの木

↑こんないわれがあるんですね

↑高倉寺の石畳
今回訪れた横穴墓群は、岩と土や石で作られた、物質的にはただの穴ですが、心の動きの中ではそれは死への通路となって出現します。宇宙や自然の領域が私たちの心に深々と繋がっているはずの通路を、暗い穴に重ねて、心を揺さぶられながら呆然として沈黙する。そんなことが感じられる、今はもう数少ない場所の一つなのではないのでしょうか。
(植)

↑今回訪れた下三輪横穴墓群の地図

↑こちらは白坂横穴墓群の地図
講座レポート「仏法(ダルマ)と動物、そして人とのあいだ」
posted on 2010/12/08
2010年11月16日(火)に行われた「仏法(ダルマ)と動物、そして人とのあいだー密教は命と心をどうとらえるか?」の講座レポートです。

仏法(ダルマ)と動物、そして人とのあいだ」というテーマについて、講師の宮崎さんは、前世において動物であったブッダが他者のために身を捧げ、仏法に触れさせる縁にするという、ジャータカ物語から語り始めました。

人々に利他心を説くこのブッダの前世譚は、ブッダ自身の言葉を正確に伝えようと意図してなされた、上座部による結集の際に影を潜めていくことになるのですが、宮崎さんは、この出来事を具体的な例として、結集をきっかけに仏教は言葉中心のものとなり、ひとつひとつの瑣末な解釈に縛られていくことになってしまったと指摘します。そのような情況の中、仏法を言葉のみの偏った捉え方をすることは、間違いではないかと考える、竜樹が登場します。

いうまでもなく、言葉は、その語る対象そのものではありません。言葉によって語られるものは、あくまで情報の断片にすぎず、その不完全な言葉によって仏法が語られるのであるのなら、そこで語られる命や世界というものは、それ自体について、真に語り得ないのなのではないか―。竜樹はそのように論を進めて、それを乗り越えるべく、「空」の概念へと至ります。
宮崎さんは、「 禽獣卉木は、皆是れ法音、 安楽覩史は、本来胸中にあるを頓悟せしめん」という空海の書簡の言葉をひきながら、「空」とは、「リアル・存在」のことであると説明します。

動物や植物というものは、すべて仏のみ言葉であり、また極楽世界とは、本来胸の中にある。この空海の思想には、仏法が「経典=言葉」というかたちに押し込められていくうちに忘れ去られてしまった、「リアル・存在」そのものへのまなざしがあります。またそれは同時に、「経典=言葉=それを操ることのできる人間」のみの仏法ではない、「動物をはじめとする、この世界すべてのもの=リアル・存在」を包み込む仏法の姿であるともいえるでしょう。これは、ジャータカ物語で語られているものと同じ視点であり、一見プリミティブともとれるこのような思考のなかにこそ、動物の仏法はあるのだと宮崎さんは結論付け、講義は締めくくられました。

講義の後の質疑応答では、講座に参加した中沢新一・くくのち学舎長が、ジャータカ物語において利他心のあらわれとして説かれている動物の犠牲行為と、動物集団において見られる、個体が自らを犠牲にすることで種としての遺伝子を存続させようとする、ドーキンスがいうところの、「利己的な遺伝子」との兼ね合いについての質問をされ、講座はさらなる深みを持つこことなりました。

命や世界そのものを、仏法として抱きしめる。けっして人間だけのものではない、動物をはじめとした、すべての存在に対して開かれた仏法の可能性を、宮崎さんの講義から感じることができ、まさに「動物の法へ」プロジェクトのキックオフにふさわしい講座となりました。(長)
感覚の再起動(1)視覚編 レポート
posted on 2010/05/27
小学校図工教育の第一人者、鈴石弘之さんを講師としてお迎えした「感覚の再起動」シリーズ第一弾、視覚編は、戦後から現代までの子どもたちの描いた絵を題材に、人間の知覚・感覚の変化について考えていきます。
まずはスライドを見ながら、明治から戦後までの図工・美術教育の変遷について解説されました。

それまで比較的自由に描かれていた子どもたちの絵も、第二次世界大戦を機に題材や描き方を指定されるようになっていきますが、戦後さまざまな試みのなかで、適切な指導を施しつつ、自由に描くということが、水木育男などの幾人かの指導者によって模索されます。
そこで子どもにより描かれた絵は驚くほど独創的で、また鋭い観察眼を感じさせるものでした。
後半からは実際に戦後描かれた絵を見ながら、講義が進みます。


参加者の方々も前に来て近くから絵を観察し、感想や質問などのやりとりがされました。

最後に鈴石さんが最近おしえた現代の子どもたちの絵も見せていただきました。

明らかになにかが違う・・・参加者全員が感じたと思います。
自分の目を通して観察したモノではなく、メディアを通して得られたモノの概念やイメージを描いているように見える、現代の子どもたち。
戦後と現代の絵の比較については、時間の関係であまり深く掘り下げることはできませんでしたが、「感覚の再起動」シリーズ次回以降にも期待したいと思います。
里山伏実践編 レポート
posted on 2010/04/01
里山伏講座のレポート掲載媒体
posted on 2010/03/29
1月31日に決行された里山伏実践編は約40人近くの方が参加し、天気にも恵まれて好評のうちに終了しましたが、いくつかのメディアに講座のレポートが掲載されています。
メトロミニッツ2月号「すべきことより、好きなこと 東京ワークショップライフ」
実際にライターさんとカメラマンの方が講座に参加し、一緒に山を登った体験記となっています。

諸岡なほ子の隅田川デプレ(東京下町散歩)
第28回 山伏体験で山にひれ伏す。
「世界ふしぎ発見!」のミステリーハンターとして活躍する諸岡なほ子さんも講座に参加してくれました。諸岡さんは今回の講師の山伏星野さんと学生の頃から交流があります。
里山伏講座のレポートではないですが、今回の講座の企画から関わっていただいた、山伏修行中の坂本大三郎さんの記事が「スペクテイター」に掲載されています。坂本さんが行者体験を文と絵で綴ったイラスト・ルポになります。
Spectator Vol.21
「山伏と僕」坂本大三郎

「里山伏講座」の講師である星野尚文さんが先達する山伏修行体験が、山形県・出羽三山で8月に開催されます。
坂本さんやくくのちスタッフも参加していますので、興味のある方は是非コンタクトしてみてください。
詳しくはこちらから。
ノグソフィア -糞とエコロジー (2) レポート
posted on 2009/10/13
3回連続講座のノグソフィア、2回目の講座です。前回の講座レポートはこちら。
今回がはじめての参加者の方も多いため、前回のおさらいから。
自分たちだけが栄えればいいという人間の身勝手さに反発した講師の伊沢正名さんは、食物連鎖の中で重要なはたらきを示すキノコの分解過程に注目。キノコ写真家として活躍しましたが、キノコの食についてばかり注目されることに嫌気がさし、次はもう一つの分解過程、ウンコに興味の対象を移しました。
前回のキノコの写真をいくつか見たあとに、いよいよ今回の本題、「ウンコがいかにして土に還るか」。実際に伊沢さん自身がノグソを掘り返して観察し、分解経過をたどります。

ノグソをするための3点セット(スコップ、蚊取り線香、水)やノグソをする際の留意点などの説明から入り、お話はどんどんディープな方向へ。
全体像や断面写真のスライドを見ながら、形状やにおいの変化、ノグソの周りの昆虫や獣類の行動などが説明されます。
最初はバクテリアの分解過程で粘液・泥状になり、においもきついのですが、だんだん固くなってチーズ状になり、においも香辛料などのむしろいいにおいともいえるものに変化、最後には無臭の糞土になります。
ここで目、鼻、指だけではなく、舌も使って調査に乗り出した伊沢さんは、糞土をなめてみることに。
周りの土は金属っぽい、無機質な味がしてまずいのに対して、糞土はなんとおいしかったとか!コクがあって舌でとろけるような感触があり、いかにも植物にもよさそうな感じです。実際、糞土のところには植物がよく根を張るのだとか。

他にもよいウンコと悪いウンコの話し(よいウンコは動物が掘り返して食べてしまうこともあるのに、下痢など悪いウンコは見向きもされない)や、夏場と冬場の分解過程の違い、いいにおいとくさいにおいの境界についてなどなど。
刺激的な写真とお話の数々に、女性が多かった今回の参加者の方々も興味津々。スライドの目の前の参加者の方は、伊沢さんのノグソが目の前に映されるので若干気の毒な感じもしましたが、楽しんでいた様子でした。
富山県南砺市の精神文化 レポート
posted on 2009/10/08
前回の「富山県南砺市の食べものと文化【五箇山編】」につづき、くくのち地域講座シリーズ2回目は再び富山県南砺市について。今回は、この地域に伝わる「土徳」の思想や浄土真宗とのつながり、そこに発生する地域のコミュニティについてなど、特に精神文化について掘り下げます。講座詳細はこちら。
くくのち学舎は、日本の地域のこれまでとこれから、というテーマに大きな関心を持っています。
地域にはまだまだ、「これからの日本にほんとうに必要なもの」が埋もれていて、しかもそれはこの数十年の間に「用済みです」とばかりに脇に置かれていたりするからです。
くくのち学舎は、地域の人たちの力を借りてそれらを一緒に掘り起こし、磨き上げ、再び新たな力となることを目指しています。
そんな思いを胸に、ひょんなことから縁を頂いた富山県南砺市の皆さんと一緒に行っているこの講座、2回目は、富山県南砺市からお寺の住職さんである太田浩史さんをお迎えし、ジャーナリストの千秋健さんにファシリテータをして頂き、進行しました。

2時間を超える講座の中、太田住職は、とても平易な言葉で、とてつもなく深い射程をもった思想と南砺の実践について語ってくださいました。
南砺に疎開した棟方志功が、まるで温泉に湯治に行った人がパワーアップして還ってくるように、飛躍的にいい絵を生み出すようになったのはどうしてなのか?
民芸運動の創始者である柳宗悦がこの疑問の答えとして見出し、概念として取り出した「土徳」。南砺の「土地の徳」を育ててきた浄土真宗の「他力」という考え方。それは「幸せとは感謝することである」という極めてシンプルで力強い思想。頻繁に行われていた「小寄」と呼ばれる会合。「小寄」とは、20人以下のグループに分かれた住民たちの会合で、集まった仲間の内でとことん話し合い、「隠しごと無し」の関係を作る場として機能し、脈々と受け継がれていたこと。。

最後に太田住職から「こんな南砺市に、ここにいるみなさんで来ませんか?」
と提案をいただき、「これはいかなくては!」と思う夏の暮れでした。
食べ物の起源神話を読む レポート
posted on 2009/09/17
2009年9月5日、いよいよくくのち学舎が正式始動しました。
今日の一つ目の講座は、芸術人類学研究所の石倉敏明さんを講師とした神話研究シリーズ第2回「食べ物の起源神話を読む」。今回はゲストとして、ドキュメンタリストとして幅広く活躍する瀬戸山玄さんをお迎えしました。

まず前半は石倉さんの案内で、さまざまな地域の食べ物の起源神話を読んでいきます。
狩猟・採集に関する神話では、人間が動物から火を手に入れる過程や、わたしたちの仲間が死ぬことによって、食べ物が手に入るということについて、一見残酷とも言える神話がいくつか挙げられます。そこには「殺す」ということと自然の贈与との関係、宗教的儀式につながる神話の構造などが見えてきます。
農耕についての神話では、農作物も人間と無関係に産まれてくるわけではなく、女性の死や人間の排泄物が大地の豊穣力につながっていくことが示されています。
このように神話の構造や主題は、地域は離れていても共通なものが見出されることを確認しました。

一通り神話を読んだところで、後半は瀬戸山さんをお迎えして、神話の世界の食べ物と現代の食べ物について対談しました。
瀬戸山さんは日本の食べ物をつくる現場をドキュメントするお仕事をいくつかなさっており、そんな現場の経験から、貨幣がない時代の食料確保について、狩猟民と農耕民についてなど、縄文遺跡の話しも交えながら語っていただきました。
90分ではもったいないくらい豊かな内容で、もっとmっと神話と現代の食べ物についての突っ込んだお話を聞きたかったのですが、今回の講座はこれで終了。食べ物の起源神話第2回に期待です。

瀬戸山さんが飛騨高山の縄文遺跡で発掘した矢じり
ノグソフィア(1) レポート
posted on 2009/09/17
くくのちの講座の中でも異彩を放っている「ノグソフィア」第一回目の講座がついに開講です。
講師の伊沢正名さんはみずから糞土師と名乗り、意識的野糞を実践しています。
もともとキノコの写真家として活躍されていた伊沢さんですが、興味があったのは、みんなが注目するキノコの食についてではなく、キノコの分解について。同じ分解の過程としてのウンコにも自然と興味が移り、自然のサイクルとして土に還るべきウンコが、なぜかゴミとして不当な扱いを受けていることに疑問を感じ、野糞を実践するようになったということです。

この講座は3回に渡って行われる予定ですが、まず第一回目はウンコと同じ分解を担うキノコについてが主題となりました。
キノコは地面に生えていることが多いため、キノコの写真は上からのアングルが多いのですが、伊沢さんは昆虫の立場に立って地面スレスレのアングルから、キノコをあおるように撮影。いつも見るイメージとは違った姿のキノコが見えてきます。
また、もちに生えたカビや、葉っぱのうどんこ病など、あまり近くで見たいと思わないような分解過程も間近で撮影。すると意外にきれいな胞子や模様が見えてきます。果てはカビを万華鏡で見てみたり、伊沢さんの発想の転換、独特さが生きた写真を、くくのちにちなんで99枚見せていただきました。

一見汚い話しに見えますが、ご本人はいたって爽やかな語り口で野糞について語り、カビはくさくない、糞は汚くないなど、目から鱗の話しばかり。糞についての偏見もいつのまにかなくなっていくようでした。が、今回は入門編。次回はいよいよ「ウンコはいかにして土に還るか」を観察。伊沢さんがみずからの野糞を掘り返して、分解する過程を研究した成果をご覧いただく予定です。ご期待ください。

伊沢さんの著書。好評で5冊売れました。
都会のキノコ レポート
posted on 2009/08/10
くくのち学舎第2回目の開講日、最初の講座は「都会のキノコ」について。今回から講座の資料と一緒にバックグラウンドシートというものが配布され、講座の概要やくくのち的ポイント、参考文献などが掲載されています。
まずはキノコ初心者のために、キノコの生態について概要の講義です。
神出鬼没で怪しい姿をしたキノコ。雨が続いた日などに突然その姿を見せます。その理由は、キノコの本体は土中など人の目に見えないところにある「菌糸」であることによります。わたしたちが目にする「きのこ」とは、キノコの花または果実にあたるとのこと。

また、生物の死骸から養分を摂取する腐生菌、生きた生物に寄生する寄生菌、生物から養分を摂取するが、その生物の生命活動にも協力する共生菌という、キノコの生きるための養分の摂取の仕方が説明されました。
有機物を無機物に分解するというキノコの生態、過剰なものを分解して元の植生に戻すという、森の免疫作用としてのキノコの役割などが解説されました。

キノコの生態の講義のあとは、都会に生息するキノコについて。
一般的にはキノコは秋、というイメージですが、都会では梅雨の時期に多く見られます。また、腐生菌が多く見られるのも、都会のキノコの特徴。講師の大舘さんが北の丸公園で撮影した、都会では珍しい「キヌガサダケ」の写真などのスライドを見ながら講義が進みました。
座学のあとは、実際に街に出てキノコを探すことが予定されていましたが、あまりキノコが生えていなかったため、中止に。
また、探すのに時間がかかるため、観察会は2時間くらいは見ておく必要があるとのこと。次回は実施できるように、調整したいと思います。

講師の大舘さんの著作。写真がたくさんあって見ているだけでワクワクします。キノコへの興味は尽きません。

