くくのち通信:

くくのち通信

「モリのフォークロア」第二回講座レポート(2012/1/28)

posted on 2012/02/17

平井芽阿里さんの講義後編、今回は「御嶽(ウタキ)」と「共同体」に焦点を当ててお話をしていただきました。

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「御嶽」と一口に言っても、その存在は多種多様です。例えば場所一つとっても、木々が生い茂るところもあれば、何も無く中がそのまま見えるところもあり、祠とか鳥居があるところ、お寺のような建物が建っているところもあります。社寺と大きく違うのは、御嶽の中へは一般の人は入れないという点です。御嶽は神役と呼ばれる女性たちが神事を行う度に掃除をして清め、守り、祈り込めを重ねてきた神様の領域なのです。

平井さんは沖縄宮古島の高校に16歳で転入し、地元の方たちに受け入れられています。大学時代から10年間調査を続けておられますが、今でも調査の前には必ずお供え物(線香、酒、塩、米)を神役に渡してこれから行うことを神様に報告なさっているとのことです。御嶽の祭祀は同じ呼び名であっても地区によって微妙に変化し形式や内容が多様化しているので、お話の中の具体的な例は、平井さんが研究されている西原地区固有の特徴です。

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西原は1874年に分村、人口1015名(2009年現在)、農業と沿岸漁業が主な生計手段です。沖縄本島などでは一つの村に一つの御嶽があることが多いですが、宮古諸島では一つの村に複数の御嶽が存在し、西原では家々を囲むような配置になっています。西原には46歳から10年間、1年間に45回以上も村の祭祀を行う、神様に仕える女性神役の存在があります。神役が所属する組織を「ナナムイ」と言います。この役を務める女性は行事のときだけでなく、日常生活にも行動規制が加わるので家族や親類、周囲の助けがないと10年間務めるのはとても難しいのです。御嶽の研究の多くは主に女性に焦点が当たっていますが、今回平井さんは子供たちや男性たち、地域共同体の立場から見た御嶽への関わりを中心にお話をしてくださいました。丸印(○)の言葉の後は説明です。二重丸(◎)の箇所は、神役女性以外に、西原に住む人々の御嶽との関わりがよく現れているところです。

○ ユー
豊穣、繁栄、幸、満ち足りた状態のこと。神様と人間世界をつなぎ合わせるように、神役が手で招くしぐさ(あおぎいれるような、神に祈るしぐさ)をする。

○ ユークイ
ユーを招くための儀礼や神事。西原ではユークイの日には神がちょっと長めに滞在する。神へのお供えには神からもたらされたユーがこもっている。

◎  お供えのお菓子を子供たちはもらうので、幼い子は御嶽のことを、「お菓子が一杯あるお店」のように認識していたりする。

◎  大人は引き戸を少し開けてタバコなど依り代として置いておき、ユーをもたらしてもらう。後日ちょっとくわえてユーを体に取り入れるなど、目には見えないが日常の生活に身近な存在である。

○   男性神役
男性は基本的に御嶽には入ってはいけない。参加する神事も、年に50回近くある女性と違い6回しかないが、そのうちミャークヅツという豊年や大漁を祈願する祭は、男性の神役が中心となって執り行われる。神役は何重にも境界線がある御嶽の入り口で規律を守り、長時間酒盛りをする。

◎  男性神役は 50歳から7年間だけの参加。年功序列の縦社会構成で最年少の神役はひたすら酒を注ぐなど厳しく規律があり、先輩から作法を学ぶ。儀式に参加することは神にかかわり、西原の男になるという両面の意味がある。

○ マスムイ
ミャークヅツの神事で、生まれた子供を御嶽の神様(ノートを持っている帳簿の神様)に(主に祖父母や両親が)挨拶報告をして名前や住所を登録する儀式。新生児の報告がすべて終わったら、男性神役たちは最高指導者である女性神役、ウーンマに神様との取り次ぎを頼みに行き、ウーンマの家でご馳走になり、幼子が生まれた挨拶をする。神歌(神様の神聖な歌)を聴き、最後はみんなで踊る。 

◎ 西原に生まれ育った人はみな(県外にいても)、意識しなくても御嶽の神に登録される。また ナーヌス《御嶽の神、若くして亡くなった人、病気で亡くなった先祖などのうちから自分の守護神が決まる》によっていつも守られている。

○ 生徒願い
生徒と教職員の健康安全を祈願する、年2回の行事。卵を持ち寄って子供の数だけ供え、ゆでて子供に食べさせるなど。学校側からもお供えを出したりする。授業ではなく、自然な子供たちの祈りが行われる。

◎  神役には子供たちにとって身近な近所のおばさんがなっており、その人々が祈るのを見ているので、御嶽に入ってはいけないということも体験として学ぶ。また、地域安全マップにも御嶽の場所が記入され、立ち入ってはならない場所、いつも神様に見守られているという地域の認識が子供たちにも伝わっている。

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このように生まれてから死ぬまで、西原の人々の生活にはいつも御嶽がかかわっています。沖縄には、父の胡坐のうえに子供が安心して座っているような状態を表す「クサティ(腰当て)」という言葉がありますが、御嶽にはこの「クサティ」、精神的安定をもたらす共同体の構造が大きく重なっているようです。ウーンマというナナムイ最高位の神役の日常の行動に厳しい規制があるのは「島全体の運を担う」という暗黙の了解があるということです。御嶽は「村を抱き」人々は「村に抱かれ」生活をしているのです。

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しかし、変化はここにも訪れています。ナナムイには今まで毎年最低でも3名以上の女性神役の加入が必要でしたが、現在は加入者が激減しており、これからどうするか大きな課題になっています。

*****

講座後の質疑も活発でした。以下は主な平井さんの説明です。

*  地域により、個人の感覚により、御嶽の神様がどこにいるか、どんな姿をしているかなどの受け取りは様々で、分類ができないくらい豊かである。

*  先祖への信仰と御嶽の神は別のもの。

*  神々には祈願中は何を話してもよい。人生相談のように神に語る。

*  人生の節目の行事で(神仏に)祈りたいという根本の感覚は、日本のほかの地域と同じものではないかと思われる。

打ち上げの会で

*  御嶽と似たような場、共同体の仕組みを持つ森や森への信仰は全国にある。

*  これからの森とコミュニティとの関わりを、今までとどう違うのかという視点で考えてみるのもよいのではないか。

モリと人の関わりは根源的でありながら(それゆえに)、なかなか捉えがたい部分があります。キックオフに始まり3回の講座で、平井さんは様々なヒントをモリPJに与えてくださいました。PJ一同心より感謝申し上げます。今後の展開でもまたアドバイスをいただく機会も多いことと思います。どうぞよろしくお願いいたします。(植)

モリのフォークロア 第1回 講座レポート

posted on 2011/10/13

2011年10月1日、平井芽阿里さんによる「モリのフォークロア」第一回
「日本人の心に根ざす森への信仰」の講義が行われました。

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民俗学というよりあえて「フォークロア」としたのは、
幅広く、古く新しい概念として「モリ」を捉えたいということでした。

「森」とはなにか、ほとんどの人ははっきりと考えたことがありません。
平井さんの学生さん100人に、アンケート協力をしてもらったところ、
「森」を鎮守の森と考える人は3人。でも、「じゃあ身近な森とは?」の質問には、
「鎮守の森」と答える人が増えたそうです。人の心の中で変化する森の一面が見えます。

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一方で、一本の木を森と見立てることもあります。
山口県豊浦町では大きな一本の木が、「川棚のクスの森」と呼ばれています。
福岡県宇美町でも、二本のクスの木がそれぞれ、
「湯蓋の森」と「衣掛の森」と呼ばれ、安産の守り神になっているなど、
一本の木が「森」と呼ばれる例が、いくつもあるということです。ちょっと意外ですね。

切り方や木にまつわる知恵、伝承を紹介した本も参考にされ、
木と共に生きる暮らしが、古くからこの列島には伝えられていることが再確認されました。

次に、長野県大鹿村の具体例が示されました。
700年~800年前の石碑がいたるところに残っている、古い歴史のある村です。
村内には歴史を持つ木が多くあり、「矢立の木」「逆さ銀杏」「夜泣き松」など、
それぞれの由来が伝わっています。
1980年代までは林業が盛んだったそうで、現在でも、切っていい木悪い木が
語り伝えられているということです。
「森とは」と聞くと「森は山のことだろ」と答えが返ってくるという、山の懐深い村です。

その村で昭和36年に、「三六災害(さぶろくさいがい)」と呼ばれる大災害が起こりました。
「山津波」というほどひどい災害で、山の一部が突然崩落して、42人の方が亡くなられました。
供養のために植樹が始まり、容易には根付かない桜を何度も植えなおして、
やっと大きな木に育て、
50年後の現在では、大西公園と呼ばれる桜の名所になっています。
しかし、遺族の方々は供養で植えたものなので、
観光名所となっていることに対しては、複雑な気持ちが潜在的にあり、
対立する意識も重複し、その場所への人々の思いは今も揺れているということです。

何かについて思いを込めて植樹をするということは、新たな意識の空間を生むということでもあり、
木々が育つと共に、長い期間にその思いはその場に積み重なるということを、
考えさせられました。

また、樹木崇拝など、神々が宿る依り代としての根強い考えがある一方で、
木がない神社もあることや、樹木葬にも話題は及び、
年老いた大木だけに霊的なものを認めているのではないことも、納得されました。
自然と人の営みは単一な関係ではなく、木々や土地に対して人の意識が折り重なり、
思いの現れも様々なかたちがあり、個人の心の中でも、幾通りにも感じられるようです。

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くくのちのモリプロジェクトが作ろうとしている「モリ」も、自然と人工が絡み合い、
木々が成長するにつれて、さらに人の思いが重なり、
空間や時間と共にその姿は多様に変化していくのではないかと思われました。

次回はさらに「モリ」と「ひと」、その関係の核心に迫ります。どうぞお楽しみに。(植)

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いのちの暴走(2) (2011/5/21) 講座レポート

posted on 2011/05/30

三回シリーズ「いのちの暴走―ナチ農相ダレーの思想と実践」その第二回、「ダレーのその時代(2)  ナチ党農政局長から有機農業の支持、そして戦後まで」のレポートです。講座が行われたのは2011年5月21日、講師は藤原辰史さんです。

第二回目の講義は、東日本大震災と原発事故という大変な事態が起った後、5月に行われました。前回にも増して、さらに幅広く社会の現状を把握し、未来に対する提言を深く強く意識しようという藤原さんの意図があふれた内容になりました。詳しいレジュメ(A4版8P)が配布されましたので、ご覧になりたい方は次回講義の時にくくのち事務局にお申し出ください。

今回の災害によって、現代社会のシステムの不具合はますます露呈されました。「食べること」の根源がおかしくなっているという現状も、その一つに挙げられます。藤原さんのご専門は農業史で、フィールドの中心はドイツです。その分野での歴史の真実を掘り深め探ることで、現代にある価値観の疑問点を明確にし、人類の未来に必要な思想の一助とする点を、再度強調されました。

農業そのものの価値転換を図ったナチズムは、その価値付けをするために膨大な数の人間を殺しました。そのナチスの農業政策に深く関与したのが、当時の農相ダレーです。

ナチスの農業政策の根幹の一つには、世襲農場法がありました。土地を売ってはいけない、買ってはいけない、分割してはいけない、担保にしてはいけないといった、市場経済から土地を切り離す特別法を作り、農民をバックアップしたのです。これは今の民法に照らすと所有権にひっかかり、法律違反となってしまいます。特別法の強引な実施は当時でも反発があり、当の農民たちからも批判が出てやがて廃止されましたが、土地の市場化に疑問符をつけたことは意味があるといえます。

一方で、ダレーはバイオダイナミック農法の支持を党員たちに訴えます。ルドルフ・シュタイナーの影響を受けた人智学徒たちが1920年代前半から、化学肥料を用いない農業を開始していました。占星学的、超自然的な面を除けば、化学肥料を批判し、農民伝承文化の尊重、手作業の重視、生態学的循環農場を形成しようとした点など、今日の有機農法につながるものです。シュタイナーは、従来の科学を批判し別の科学を打ちたてようとしましたが、それは人智学を学んだもののみに開放され、結果として、知識を持たない低所得層の民衆向けの科学にはなりえませんでした。ダレーはシュタイナー人智学には興味は持っていませんでしたが、この農法には関心を示し、支持を呼びかけるために、党同志に向けて書いた手紙が残っています。そこには、生き物の法則にかなうように、科学と市場主義を克服しなければならないといった表現が見られます。ナチスの後ろ盾である大企業に喧嘩を売るような、当時の大臣としては危険な発言だったそうです。ダレーは有機農法を支持した時点ですでに影響力は無く、やがて変人として排除されていきますが、この科学+経済批判を、現代の私たちは単なる妄想として扱うことはできません。

以上のような例からも推察されるように、ナチズムはある程度自然法則に政治をゆだねることで、資本主義の危機を乗り切ろうとしました。これは、市場中心主義と科学万能主義によって抑圧されていた、生命を解放するという一面も持ったのです。

しかし、ナチズムは、戦争準備というテンションの中でそれを行いました。新しい労働者として、また戦争に役立つために、子供をどんどん作る、再生産をするために、生命持続を目的とし、食べ物の重要性を考えました。農村こそは、健康な身体を作り、理想的、生産主義的生命観を実現させるのに恰好な場所だったのです。ダレーの有機農法支持もここに結びついていました。ナチスもダレーも、目的のためには手段を選ばないという姿勢で、自然の法則に身を任せたのであって、資本主義の道を降りる気は無かったのです。さらに「いのち」に過剰な価値をおくあまり、人間も品種改良が可能と考え、「いのち」の品質管理に手をつけてしまいました。「いのち」を「こうあるべきもの」として改善(!)しようとし、「ここにあるもの」として受けとめることをしなかったのです。「生殖」と「物質循環」の拡大は(人間の生物化)、新規市場開拓としての「戦争」に接続しています。

以上のような話題を含んだ、多岐に渡る展開の後、「食べること」と「暮らすこと」を基本にすえた生態平和社会を目指すうえで、ナチズムを反面教師とした、提言が示されました。

・  克服すべきものは何かを見誤らないために、科学と資本の関係を問うこと。
・  「選別思想」の落とし穴を避けること。
・  現状追認の自然主義に陥らず、構想力を持続し、生態平和社会の建設を意図すること。
・  生物学主義に陥らないこと。

最終回となる第三回目の講義は、藤原さんのドイツ研究滞在を挟み、近日開講予定です。
ナチスの悲惨の根源にさらに迫る内容です。どうぞお見逃し無く。
多くの皆様のご参加をお待ちしています。(植)

「いのちの暴走」第1回 講座レポート

posted on 2011/02/25

三回シリーズ「いのちの暴走―ナチ農相ダレーの思想と実践」その第一回、「ダレーのその時代(1) 生誕からナチ党入党まで」のレポートです。講座が行われたのは2011年2月19日、講師は藤原辰史さんです。

はじめに語られたのは、いのちを粗末にする現代社会の病理を正し、「食べもの」についての価値観を転換したいという実践的な意図でした。大量の食べ物が、飢餓状態にある人々にいきわたらず廃棄され、また市場評価機構社会の商品とされている矛盾を見据え、現実的で強靭な「食思想」を形成したいということです。過去には政府による配給制で、闇市の増殖、貧富の格差拡大など歴史が失敗例を示しています。藤原さんが提示されたのは例えば公衆食堂×公衆浴場の案で、人間社会の宿木として、脱「市場中心社会」の拠点としての、公衆的なコミュニティーの可能性です。その一歩を踏み出すために、歴史研究者の立場から、過去の事例に遡って危険に満ちた回路を検証批判したいと話されました。

今回の講座の目的は、食を中心に据え国を変えようとしたが、結局は有史以来最も生命を粗末にしてしまったナチズム、その「食思想」「食政策」の危険性を徹底的に検証し批判した上で、現代的実践の知恵の糧にすることです。

ナチスは絶滅収容所で自分たちは直接手を下さず、無関心を保つ距離をとりました。囚人の中にCAPOをつくり、上司から言われたことは即実行するウルトラ官僚主義的殺人機構を作り上げたのです。どういう道を辿ってそのような立入禁止地区に入ってしまうのか。その危険性を克服するために、この三回シリーズではナチ農相ダレーをターゲットにします。

ダレーは都市政党であるナチ党が農民票を獲得し政権を獲るのに貢献した人物です。有機農法に強い関心を持ち、農業の復権を遺伝学的価値から試みました。第三帝国の農相(1933-1942)でしたが1936年頃から「変人」扱いされ、影響力を失います。青年時代、第一次世界大戦の塹壕戦で衝撃を受け、その後のヴァイマル共和国時代では、ある面で大変に民主主義的方向が生まれながら一方で保守化し、政治的経済的には暗く不安定で暴力的でもあるという矛盾した社会を体験します。

1927年に著した『民俗と人種』では北方人種とセム人種を二項対立させるような萌芽がみられます。大まかに言えばゲルマン人とユダヤ人です。その後、北方人種の祖先を農耕民族であったアーリア人と主張し、ゲルマン文化の素晴らしさを農民の存在に求めます。インドの高貴な血が流れているのだから農民は貴族なのだ。土地は伝承として社会に組み込むべきで、農業は市場から遠ざけねばならない。金ではなく文化、人種に価値があるのだとし、都市を嫌い、「かまどの火」という太古からの農民習俗を思想の中に組み入れます。そして、生命科学を人間、動物、植物を包括した遺伝学を基礎に考え直していくことを提唱するのです。農民たちをひきつけるこのような甘いロマンティシズムを保存して、ダレーを中心にナチ党は農民票を獲得していきます。農民の中に湧きあがってくる不合理な情念やシステムに対する抗議と、ある意味共鳴しあいながら力を伸ばしていったのです。しかしその方法は一対一の関係ではなく、スピーディなテクノロジーの上に載せて合理的決定を下す大衆扇動でした。全体の前に個人は無になっていったのです。

講義後の質疑応答もみっちり中身の濃いものでした。

・  宮沢賢治の抱えた矛盾について
・  オートメーションとロマンティシズムをどうして同居させることができたのか
・  自立した個と個の偶然性を確保したまま公共性を保持することについて・・・公衆浴場論
・  神話学からのナチス批判
・  藤原さんが農業に興味を持ったきっかけについて
・  共有地について
・  アジールを求め森に触れ合うというような青年運動がどこで変質したか、
などなど。
刺激的な学びは第二回に続きます。
(植)

くくのち山講プロジェクト(12/18)・ミーティング報告

posted on 2010/12/25

2010年12月18日、晴天。

「そろそろ冬至ですよね?」

思わず口走りそうな陽気の土曜日、くくのち山講プロジェクト・キックオフミーティングが開催されました!パオパァ~♪(←法螺貝の音色)

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記念すべき第一回目とあって若干上がり気味??な成瀬隊長と和気あいあいとした参加メンバーの皆さん。真剣にメモをとったり深く肯いたりと、これから生まれる「講」へのワクワクが教室を駆け巡る!くくのち山講プロジェクトの概要をお伝えするやいなや、鋭い質問や熱いコメントがひゅんひゅんと飛び交いました。

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↑ 山講プロジェクトへの思いを熱く語る成瀬隊長

「講」って、古くからある社会のしくみの一つ。それが伝えてきたのは、まさに“これからの日本に必要な”「知恵」だと思うんです。血のつながりや地域の縁がないにも関わらず、サークルのごとく月1で集まろうとしている私たち。神仏習合、聖地修復、山に学ぶ宗教感覚etc…大切でも難しいキーワードは後回し。優先させるべきは身体がナットクするかどうか。ここから何が生まれてくるでしょう?産声をあげたばかりの「千山講(くくのち山講プロジェクトの講名です)」、みんなの愛で、育んでいきたい!

キックオフミーティングのあとはそのまま交流会&忘年会に!パオパァ~♪←法螺貝の音色)

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テーブルに並んださまざまな料理、お酒を楽しみながら大いに盛り上がる面々!

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↑(さ)さん、太巻き、ありがとう、おいしかったです!

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↑こちらは、金沢の「へしこ」を切り分けている図、日本酒と合いますね

およそ40人、一見何のつながりもなさそうなメンバーの皆さんですが、どこかで山とつながっているから不思議!時間とともに場もあたたまり、すごくいい雰囲気でした。あっという間に円も竹縄。山に登ることと、そこに日本人が培ってきたことを、窓口広く、敷居も低く、もう一度見直していこう。くくのち山講プロジェクトはとてもいい感じでキックオフできました。柔軟な感性とゆるいネットワークを武器に、「山と人のよりよい関係」に向けて動き出しますよ~。乞うご期待!!!

パオパァ~♪(←法螺貝の音色)

(さ)

講座レポート「仏法(ダルマ)と動物、そして人とのあいだ」

posted on 2010/12/08

2010年11月16日(火)に行われた「仏法(ダルマ)と動物、そして人とのあいだー密教は命と心をどうとらえるか?」の講座レポートです。

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仏法(ダルマ)と動物、そして人とのあいだ」というテーマについて、講師の宮崎さんは、前世において動物であったブッダが他者のために身を捧げ、仏法に触れさせる縁にするという、ジャータカ物語から語り始めました。

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人々に利他心を説くこのブッダの前世譚は、ブッダ自身の言葉を正確に伝えようと意図してなされた、上座部による結集の際に影を潜めていくことになるのですが、宮崎さんは、この出来事を具体的な例として、結集をきっかけに仏教は言葉中心のものとなり、ひとつひとつの瑣末な解釈に縛られていくことになってしまったと指摘します。そのような情況の中、仏法を言葉のみの偏った捉え方をすることは、間違いではないかと考える、竜樹が登場します。

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いうまでもなく、言葉は、その語る対象そのものではありません。言葉によって語られるものは、あくまで情報の断片にすぎず、その不完全な言葉によって仏法が語られるのであるのなら、そこで語られる命や世界というものは、それ自体について、真に語り得ないのなのではないか―。竜樹はそのように論を進めて、それを乗り越えるべく、「空」の概念へと至ります。

宮崎さんは、「 禽獣卉木は、皆是れ法音、 安楽覩史は、本来胸中にあるを頓悟せしめん」という空海の書簡の言葉をひきながら、「空」とは、「リアル・存在」のことであると説明します。

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動物や植物というものは、すべて仏のみ言葉であり、また極楽世界とは、本来胸の中にある。この空海の思想には、仏法が「経典=言葉」というかたちに押し込められていくうちに忘れ去られてしまった、「リアル・存在」そのものへのまなざしがあります。またそれは同時に、「経典=言葉=それを操ることのできる人間」のみの仏法ではない、「動物をはじめとする、この世界すべてのもの=リアル・存在」を包み込む仏法の姿であるともいえるでしょう。これは、ジャータカ物語で語られているものと同じ視点であり、一見プリミティブともとれるこのような思考のなかにこそ、動物の仏法はあるのだと宮崎さんは結論付け、講義は締めくくられました。

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講義の後の質疑応答では、講座に参加した中沢新一・くくのち学舎長が、ジャータカ物語において利他心のあらわれとして説かれている動物の犠牲行為と、動物集団において見られる、個体が自らを犠牲にすることで種としての遺伝子を存続させようとする、ドーキンスがいうところの、「利己的な遺伝子」との兼ね合いについての質問をされ、講座はさらなる深みを持つこことなりました。

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命や世界そのものを、仏法として抱きしめる。けっして人間だけのものではない、動物をはじめとした、すべての存在に対して開かれた仏法の可能性を、宮崎さんの講義から感じることができ、まさに「動物の法へ」プロジェクトのキックオフにふさわしい講座となりました。(長)

感覚の再起動(1)視覚編 レポート

posted on 2010/05/27

小学校図工教育の第一人者、鈴石弘之さんを講師としてお迎えした「感覚の再起動」シリーズ第一弾、視覚編は、戦後から現代までの子どもたちの描いた絵を題材に、人間の知覚・感覚の変化について考えていきます。

まずはスライドを見ながら、明治から戦後までの図工・美術教育の変遷について解説されました。

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それまで比較的自由に描かれていた子どもたちの絵も、第二次世界大戦を機に題材や描き方を指定されるようになっていきますが、戦後さまざまな試みのなかで、適切な指導を施しつつ、自由に描くということが、水木育男などの幾人かの指導者によって模索されます。
そこで子どもにより描かれた絵は驚くほど独創的で、また鋭い観察眼を感じさせるものでした。

後半からは実際に戦後描かれた絵を見ながら、講義が進みます。

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参加者の方々も前に来て近くから絵を観察し、感想や質問などのやりとりがされました。

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最後に鈴石さんが最近おしえた現代の子どもたちの絵も見せていただきました。

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明らかになにかが違う・・・参加者全員が感じたと思います。

自分の目を通して観察したモノではなく、メディアを通して得られたモノの概念やイメージを描いているように見える、現代の子どもたち。

戦後と現代の絵の比較については、時間の関係であまり深く掘り下げることはできませんでしたが、「感覚の再起動」シリーズ次回以降にも期待したいと思います。

里山伏実践編 レポート

posted on 2010/04/01

2010年1月31日に開催された、「里山伏実践編」の様子を動画で公開します。

当日は40人近くの団体で、高尾山とその周辺の山を歩きました。

掲載媒体についてはこちら:里山伏講座のレポート掲載媒体

里山伏講座のレポート掲載媒体

posted on 2010/03/29

1月31日に決行された里山伏実践編は約40人近くの方が参加し、天気にも恵まれて好評のうちに終了しましたが、いくつかのメディアに講座のレポートが掲載されています。

メトロミニッツ2月号「すべきことより、好きなこと 東京ワークショップライフ」
実際にライターさんとカメラマンの方が講座に参加し、一緒に山を登った体験記となっています。
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諸岡なほ子の隅田川デプレ(東京下町散歩)
第28回 山伏体験で山にひれ伏す。
「世界ふしぎ発見!」のミステリーハンターとして活躍する諸岡なほ子さんも講座に参加してくれました。諸岡さんは今回の講師の山伏星野さんと学生の頃から交流があります。

里山伏講座のレポートではないですが、今回の講座の企画から関わっていただいた、山伏修行中の坂本大三郎さんの記事が「スペクテイター」に掲載されています。坂本さんが行者体験を文と絵で綴ったイラスト・ルポになります。

Spectator Vol.21
「山伏と僕」坂本大三郎

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「里山伏講座」の講師である星野尚文さんが先達する山伏修行体験が、山形県・出羽三山で8月に開催されます。
坂本さんやくくのちスタッフも参加していますので、興味のある方は是非コンタクトしてみてください。
詳しくはこちらから。

くくのちふゆまつりレポート(3)

posted on 2010/03/19

すっかり間があいてしまいました。
くくのちふゆまつりレポート最終回は、ふゆまつりの最後に行われた舞踏公演のレポートです。

第一回目、二回目はこちら。
くくのちふゆまつりレポート(1)
くくのちふゆまつりレポート(2)

日が暮れて、暖房設備のない会場はかなり冷え込みましたが、それにも関わらず多くの人がご来場くださいました。
舞踏公演は2つ行われました。
一つ目は、豪雪地帯にある山形県大蔵村を拠点に活動する舞踏家、森繁哉さん率いる南山座の「大道曲芸披露」。
森さんの開設した大蔵山〈すすき野シアター〉には、くくのちのスタッフも学生時代大変お世話になり、ゆかりの深い場所となっています。
南山座は森さん夫妻と、その子どもたちを中心とした家族技芸団。
今回の演目は、中世以来の日本芸能の始まりを現代に蘇らせようとする試みです。

暗くなった会場入口に、法螺貝を持った森さんを先頭にした南山座の面々が現れます。
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舞台に移動したあとは、映像でご覧ください。

南山座の公演終了後、休憩をはさんで、二つ目の演目、森繁哉+阿部利勝「踊る農業・ダンス披露」。
阿部さんも山形県大蔵村を拠点に、農業と舞踏を追求しています。森さんと同じく、くくのちと縁の深い方です。
今回の公演では農業の始まりと芸能の始まりを踊ります。

最後に中沢舎長の講評があり、長かったおまつりが終了しました。
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これでレポートも終了です。

今回の反省点を活かし、今後、より楽しいイベントを企画していきます。
その際はまたこのサイト上でも告知しますので、みなさま是非ご参加ください!

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