講座:生命とエネルゴロジー

いのちの暴走 三回シリーズ 終了

ナチ農相ダレーの思想と実践

第三帝国は、人類史上、最もいのちを粗末にした国家のひとつである、という見方に疑いを抱く人はいないだろう。たしかにそうである。アイヒマン裁判で明らかになったように、絶滅収容所を支配していた精神は、ユダヤ人の憎悪ではなく、官僚主義的エートスであった。あの無味乾燥な機械的殺戮は、殺人の名にも値しない野蛮である。

ところが、ナチスの思想と実践を注意深くみてみると、けっして生命を粗末に扱う性質のものではなかったことが分かる。むしろ、その「いのち」の感覚は、人を超えて、動物、植物、土壌、はては「空間」全体にまで及ぶ、汎神論的な、ある意味で豊かな生命観であった。いのちの増殖を崇拝し、いのちの根源である母と大地をあがめ、一方で、いのちの「質」の「向上」に腐心した。まさに、生命に取り憑かれた国家といっても言い過ぎではない。では、なぜ、この国家が、あれほどまでに、いのちをないがしろにすることができたのだろうか。

本講座では、第三帝国食糧・農業大臣リヒャルト・ヴァルター・ダレー(1895-1953)の生涯を追い、その農業思想における自然観・生命観と政治的実践を同時代的背景もからめながら論じる。クリーゼ(恐慌=危機)の時代に、「血と土」というスローガンを打ち立てた、このエコロジカルな農政家が辿った暗黒の道を追体験することで、まず、その道がどれほど魅惑的であってももはや「立ち入り禁止」であることを見定める。ダレーは、都市化される資本主義社会のなかで、生命法則に従うことがドイツの最大の課題の一つと考えたが、この生命崇拝の背後には、ダレーの近代育種学的自然主義が控えていた。つまり、メンデリズム的な機械的遺伝観とエコロジカルな汎神論的自然主義の奇妙な結合である。ここにこそ、ナチスの悲惨の根源の一つがあるのではないか、というのが現時点での私の考えである。この結合について説明をしたうえで、それでもいのちがゴミ屑のように粗末にされつづけるこの現代社会において、いのちを軸に据えた未来社会像はどのように可能なのかを、受講生とともに考えたい。

講師

藤原辰史

1976年、北海道旭川市生まれ、島根県出身。1999年、京都大学総合人間学部卒業。2002年、京都大学人文科学研究所助手を経て、2009年から東京大学大学院農学生命科学研究科講師。専門は、農民史、農業思想史、農業技術史。著書に、『ナチス・ドイツの有機農業―「自然との共生」が生んだ「民族の絶滅」』、最新刊は『カブラの冬──第一次世界大戦期ドイツの飢饉と民衆』(人文書院、2011)。

開講日時

第1回 ダレーとその時代(1) 生誕からナチ党入党まで: 2011年2月19日(土) 13:00~15:00
第2回 ダレーとその時代(2) ナチ党農政局長から有機農業の支持、そして戦後まで: 2011年5月21日(土)13:00-15:00
第3回 ナチスの悲惨の根源 ダレーから考える: 日程未定

講座

くくのち学舎/はるまつり開催@エコプラザ 終了

くくのち学舎のお知らせです。一昨年は12月に開催した「ふゆまつり」。
今年は、春の予兆をことほぐ「はるまつり」の開催です!

図1
くくのちはるまつり <テーマ:はるの予祝>

日時 2011年3月6日(日) 11:00~20:30
場所 エコプラザ(港区浜松町1−13−1)
交通 JR浜松町駅北口下車4分 / 都営地下鉄大門駅B1出口下車3分
入場無料

【講演】
“はるのおがわの原理” くくのち学舎長 中沢新一 (17:00-18:00)

【公演】(投げ銭制)
・踊りと音楽:Upupa Epops ウプパエポプス (19:30~20:00)
・演奏:ブルーグラスバンド”Lonsome Pine Field”
・音番:DJ TINTIN, DJララバイ(子守歌DJ)
・”Wo a bele −もりのなか−”分藤大翼さんの映像上映

【催し】
・カタラッソマーケット(フリマ、物々交換、スーク方式)
・くくのち学舎プロジェクトチームによる活動報告
サウダージブックスの本づくりワークショップ
・Tシャツプリントワークショップ(協力:Spectator編集部)

【出店】
・アノニマ・スタジオ(書籍販売) http://www.anonima-studio.com/
・気流舎のスーク(古書販売) http://www.kiryuusha.com/
・料理書専門古本屋onakasuita http://onakasuita.ocnk.net/
・おらほの屋(山形の物産) http://orahono.com/
・のんきぃファーム(滋賀のコメ生産者) http://nonkifarm.com/index.html
・馬喰町ART+EAT(food) http://www.art-eat.com/
・キッチンわたりがらす(drink & food) http://watarigarasu.jp/w/
・松野屋(くらしの道具) http://www.matsunoya.jp/
・多摩美術大学芸術人類学研究所
・下北沢つきまさ (日本茶) http://www.tukimasa-simokita.com/
・土偶屋 

【中継】
ハルノオガワラジオ(HNOR.NET)<予定>

●問い合わせ先
くくのち学舎事務局(info@kukunochi.jp / fax:0355019093)

お知らせ, モリPJ 活動レポート

くくのちのモリプロジェクト見学会(12/23)レポート

当日は寒いという天気予報を信じて、着膨れて出かけたところ、日向はぽかぽかでした。
鶴川駅で待ち合わせ、バスに乗って10分くらい。妙福寺前で下りて、山道を辿ります。

01下三輪横穴墓登山口

↑登山道入り口の道標、これで道に迷うことはないですね

落ち葉がいっぱい積もった細い道を、しばらく登っていくと分かりやすい表示が見えて、雑木林の続きのこんもりした崖に、下三輪横穴墓群四基がひっそりと暗い口を開けていました。写真では奥まで見えるように写っていますが、木立の中で覗いて見ると日差しがあっても、なにやら薄暗く細部までは捉えられませんでした。

03下三輪横穴墓手前

↑雑木林をすすむ見学会の参加者

02下三輪横穴墓登山口2

↑東京近郊なのに、畑もあったりしていいところです

暗くぽっかりした穴の前で、参加した皆は少しの間無言でした。

06下三輪横穴墓1

↑下三輪横穴墓群、しばし無言で見入ります

07下三輪横穴墓2

↑墓の中はこんな感じ、きれいに掘ってあります、内壁に彫刻等もあったようです

その後あたりを見回して、木々や墓の掘り方を確認したりしました。長崎リーダーの話では、周囲の植生はすっかり変化しているのではないかということでした。

14下三輪横穴墓9

↑7世紀の墓だそうですが、当時とは植生がすっかり変わってしまっているのでしょうね

次は山を下って、寺家谷戸田のほうに降りて、杉木立の立派な寺家ふるさとの森を抜けて、何だか通行止めの尾根道だかを通ってしまったのでしょうか。落ち葉どっさりで湿った坂道を下りることになり、しばし緊張。写真はありません。空手師範のリーダーはつるっと滑りましたが、流石の受身で回転着地されました。

18寺家ふるさとの森

↑寺家ふるさとの森、昼間なのに薄暗いです

19寺家ふるさとの森2

↑ふるさとの森を歩く参加者のみなさん

また少し坂を登ったところに熊野神社がありました。山茶花が満開。

20寺家_熊野神社

↑熊野神社

「熊野神社は通称”おくまん様”と呼ばれる。伊邪那岐命、伊邪那美命を祭神とする。伝承によると元慶元年(877)大和の国城上郡三輪の里(現奈良県桜井市三輪)より勧請されたという。明和4年(1767)別当である高蔵寺の法印亮恰により社殿が造営され、嘉永7年(1854)石像の三尊仏を造立して再建が図られた。現社殿は昭和48年に造営された。御神木のアカガシは樹齢300年を経ており、町田市の銘木に指定されている。」(麻生岡上の里山から多摩のまほろば三輪の里道へを参照)

そこを下って白坂横穴墓群に向かいます。途中、椙山神社に参りました。

23椙山神社2

↑椙山神社

「椙山神社は、由緒書によれば、この付近の山容が古事記や日本書紀にも記されている大和の国の三輪の里に鎮座する大神神社(三輪神社)の神体である三輪山に似ているということから、元慶元年(877)当地に勧請されたとの伝承がある。社号の『椙山』は珍しいもので、武相には72の杉山社があるが、椙山の字はここが唯一である。祭神は日本武尊と大物主命。御神体は不動明王が鋳出されいる御鏡で、裏面に下三輪総鎮守 寛文4年(1664)大吉と刻まれているという。」(同上

このあたりは奈良の三輪山に縁の深い土地柄のようです。

白坂横穴墓群で公開されているのは二基。河原の石を内部に敷いてあるところや、墓の掘り方が少し違うようです。住宅地のすぐ横の道沿いにあり、階段や手すりを設けるなど、周囲もよく整備されています。

30白坂横穴墓群の植生

↑白坂横穴墓群、墓の上の植生とあわせて

27白坂横穴墓群1

↑白坂横穴墓群内部、河原の石が敷いてあります

時間があったので辺りを散策しましたが、大変手入れの行き届いた景観を作られて、自筆らしき説明をつけられるなど、親切丁寧な所有者が居られるようです。参加者同士で、誰が掃除をしているのだろうか、お一人ではないでしょうなどと話しました。お花見スポットお勧めはここです。(三輪の里4か5)奥に見えるのはわらぶきの屋根。多分、枝垂桜が満開の頃は夢見心地になるであろう光景が想像されました。

31三輪の里01

↑地域の方が立てている看板、たしかに三輪の里は奈良の山の辺の道にそっくりです

32三輪の里02

↑随所に立てられている看板

33三輪の里03

35三輪の里05

↑たくさんの看板から、地域の方の思い入れが痛いほど伝わります

41三輪の里_荻野家2

↑三輪の里、荻野家、かやぶきの屋根が目を引きます、春先は櫻が咲き乱れるでしょう

下三輪の辺りの谷戸や里山もそうですが、神奈川県域に飛び地のようになっているため、たまたま開発を逃れて自然が残され、今となっては貴重なそれを、皆で大切に保存しているのかなと思わされるような印象でした。

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↑途中出会った赤い木の実

39三輪の里のカヤの木2

↑思わず見上げてしまう、三輪の里のカヤの木

38三輪の里のカヤの木

↑こんないわれがあるんですね

43高蔵寺の石畳

↑高倉寺の石畳

今回訪れた横穴墓群は、岩と土や石で作られた、物質的にはただの穴ですが、心の動きの中ではそれは死への通路となって出現します。宇宙や自然の領域が私たちの心に深々と繋がっているはずの通路を、暗い穴に重ねて、心を揺さぶられながら呆然として沈黙する。そんなことが感じられる、今はもう数少ない場所の一つなのではないのでしょうか。

(植)

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↑今回訪れた下三輪横穴墓群の地図

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↑こちらは白坂横穴墓群の地図